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2005.07.02 (Sat)

『サマリア』と『バウンスkoGALS』を観て

痛みを抱えた青春の果てに

10代の頃は異性に興味がいくと同時に、同性との精神的な繋がりが濃密になる時期なのかもしれない。

「いつか2人でヨーロッパ旅行へ行こう」
そんな夢の為の資金作りに「援助交際」をするチェヨン(ソ・ミンジョン)とヨジン(クァク・チミン)。チェヨンはいつも笑顔を絶やさず、寝た男との話を屈託なくヨジンに話す。一方、男と事前の交渉・見張りそしてお金の管理をするヨジンは、そんな男達を軽蔑し、またそんな男達の話を自分に聞かせるチェヨンに苛立っている。
チェヨンがお客である作曲家にホンの少しいつもと違う関心を持った頃から、2人の間に微妙な軋みがでる。ある日、見張りを怠ったヨジンの目の前で警官に踏み込まれたチェヨンは安宿の小さな窓から飛び下りてしまう。

あんなに側にいたのに。自分はチェヨンの何を知っていたんだろう。チェヨンの死によって、この後ヨジンはあたかも贖罪の旅の様にチェヨンが寝た男達と寝て「お金」を返していきます。チェヨンは自分。自分はチェヨン。いつかヨジンはチェヨンに同化していったのかなとフト思いました。
そしてヨジンの父ヨンギ(イ・ヨル)が偶然にもこの「旅」を見てしまうことから、新たな悲劇が起こります。どんなことをしても愛する者を守りたい。この当たり前すぎる感情が、やがて歯止めの効かない行為へとヨンギを追い詰めていきます。
母親のお墓参りに行く2人。この旅の中で、ヨジンは自分を取り戻し、1人涙にくれます。そして、父は娘に車の運転を教え、自ら犯した罪を償う為に娘を1人置き去ります。
「これからは1人で運転しなさい」
覚え立ての運転でフラフラと蛇行しながら、それでも必死に父を追いかけようとするヨジン。ぬかるみにタイヤを捕られついに動けなくなるけれど、それでもアクセルをふかし続ける。その音は、まるで痛みを抱いて生きるこれからの長い人生のスタートラインで、ヨジンが自らを鼓舞するかのように私には聞こえました。

この映画のキーワードに「援助交際」があります。「韓国にも援助交際ってあるんだ・・・」単純な驚きでした。
「援助交際=コギャル」と言った図式が90年代後半でしたでしょうか、日本に存在していたのは。ある意味とても単純な私の記憶の残像に引っ掛かったのが当時見た「バウンスkoGALS」という邦画。
こちらはしょっぱなから「コギャル語」や「援助交際」「ブルセラショップ」等、いまや「懐かしい」部類に入った感のある彼女達の生態が描かれるのですが、何だかミョーに明るい。

金曜日の午後の東京・渋谷。日本に馴染めず生まれ育ったアメリカへ「帰国」する為にアルバイトでためた30万を渋谷で奪い取られたリサ(岡元夕紀子)は偶然知り合ったラクチャン(佐藤康恵)の紹介でコギャルのリーダー格のジュンコ(佐藤仁美)と知り合う。ジュンコは自分の周りにはいない、自分の力を信じてまっすぐに生きようとするリサを眩しく感じ協力する。一晩で30万を取り戻す。その荒稼ぎはヤクザの大島(役所広司)の知るところとなり、追われる3人。たった一晩だけの出会いだけど、リサは「友達」を、ジュンコとラクチャンは「目的」を教わった事が、彼女たちに渋谷の街を駆け抜けさせる。明けて土曜日、奪われた30万を取り戻し「確かな繋がり」を感じた3人の前に、リサの出発時刻が迫る。
それぞれが始めて感じる「別れ」。でもそれが3人にとって新たなスタートラインだと信じて、精一杯の笑顔で手を振る。

とまあ、どちらも「女子高生」「援助交際」「痛み」と言ったキーワードになりうるものは同じですが、中身が全然違います。
「サマリア」は出だしこそ欲求(ヨーロッパ旅行)のために「援助交際」し、揚げ句、ジェヨンを死に至らしめてしまったことへのヨジンの贖罪の旅といった形で話は進みますが、後半はヨジンの行為を知った父親ヨンギとの親子の関係が濃密に描かれます。

「バウンス」は一見ノー天気でお気楽に刹那的にと生きているコギャルの形態をとってはいますが、実は「何か」を探してもがいてと言ったモロ「青春映画」です。ここには親もいなければ濃密な関係を築ける人間もいません。ただ、ヤクザの大島とブルセラショップのオーナー(桃井かおり)に「大人」の代弁をさせているのがポイントといえばポイント(この2人、サスガです。画面がピリッと締まる)
ジュンコのセリフに「1万やるからキスさせてはいやだけど100万ならいいかって思う子供の発想が通用する世の中の方がヤバい」って言うのがあります(100万キス、か 苦笑)
彼女はこの世の中を、常識を無くした大人を相手にギリギリのところで稼いでます。聞きたくもない話に笑顔で頷き、喋りたくもない話題に笑顔で答える。
乱暴な言い方をすれば、ジェヨン/ヨジンのコミュニケーションは体を重ねる事。一方ジュンコは自分の感情を売る(殺す)ことで男とコミュニケーションを取ります。体を売る事と感情を売る事。どちらがいいとか悪いとかじゃなく、それこそ消えない痛みが心の奥底に沈んで、いつかどうしようもなく苦しくなる。年齢を重ねると経験という物差しで物事にはある程度の「予想」がつきます。彼女達はあまりに幼いが為に、自ら深い痛みを引き寄せてしまうのでしょう。まさしく「ザ・青春」?

「サマリア」でヨンギが犯してしまう罪はひとえに、娘ヨジンを愛するが故の行為の延長。しかし人を殺めてしまったことの前では、どんな理由も理由にはならない。だからといって「法」には限界があります。悲しいことですが・・・
ヨジンの「罪」とヨンギの「罪」。これから先、2人は自身の罪をそしてお互いの罪を背負って生きていくことになるでしょう。「痛み」を抱えて生き続けること。それがいつか「許し」を得ることに繋がると信じて。

そして「バウンス koGALS」のリサもジュンコもラクチャンも確かなものなんて何もない、そんな青春のまっただ中に「自分」見つけて、他人と関わってぶつかって傷付く。そうやって得た「痛み」や「感情」を確かなものだと信じられる事がこれから先、生きていく上で支えになる。彼女達にはそうあってほしいと思いました。

先日劇場で「サマリア」を観て(遅っ!)「あ、そうだ!」と思いだして何年か振りにみた「バウンス koGALS」私の中でこの2本の映画は「見っけもん」でした。なので、ちょっとつらつらと書いておこうと思いました。相変わらず長いわ(^^;)

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